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最高裁判所第三小法廷 昭和36年(オ)791号 判決 1963年6月04日

上告人 栃木県知事

訴訟代理人 青木義人 外四名

被上告人 中元藤明

主文

原判決を破棄し、第一審判決を取り消す。

被上告人の訴を却下する。

訴訟の総費用は被上告人の負担とする。

理由

上告代理人青木義人、同岡本元夫、同藤瀬乙比古、同松本隆夫、同野村二郎の上告理由第一点について。

本件戒告は、保険医の監督機関たる上告人知事が「社会保険医療担当者監査要鋼」(昭和二八年六月一〇日保発四六号厚生省保険局長の都道府県知事あて通達参照)に基づき保険医たる被上告人に対してした行政上の措置であることは、原判決によつて明らかである。ところで、保険医に適用さるべき健康保険法(昭和三二年法律四二号による改正前のもの)には、かかる行政措遣につき出訴を認める旨の特段の規定はなく、その法的効果を推認し得るに足る規定も存しない。また、前示監査要網によれば、監査後の措置として、事案の軽重により、指定取消、戒告および注意指導の三種類が予定されており、指定取消は、「故意に不正又は不当な診療、報酬請求を行つたもの」のほか、戒告の事由たる「重大なる過失により不正又は不当な診療、「報酬請求」をしばしば行つたもの」に対して行われることとなつているので、戒告事由がたび重なることによつて一層不利益な指定取消(それが行政処分であることは疑問の余地がない。)を受ける虞れのあることは首肯し得るとしても、戒告を受けたこと自体が指定取消の事由とはなつていない。いいかえれば、戒告を受けた者は将来指定を取り消される虞れはあるとしても、それは、戒告の事由がたび重なることによるものであつて、戒告という行政上の措置を受けたこととは直接の関係はない。従つて、本件戒告は、所詮、被上告人に対し何等かの義務を課するとか権利行使を妨げる等法的効果を生ずるものではないといわなければならない。もつとも、本件戒告は、前敍のごとく行政上の指導監督措置であつて、制裁を目的とするものでないとはいえ、それによつて被上告人の名誉、信用等を害することは、否定し得ないところである。しかし、行政事件訴訟特例法上の行政処分といい得るためには、当該処分がそれ自体において直接の法的効果を生ずるものでなければならないことは、当裁判所の判例とするところである(昭和三〇年二月二四日第一小法廷判決、民集九巻二号二一七頁、昭和三六年三月一五日大法廷判決、民集一五巻三号四六七頁参照)。それ故、本件戒告は、仮りに違法でありこれに対する損害賠償の請求が可能であるとしても、行政事件訴訟特例法によつてその取消を求めることは許されないもの、といわなければならない。

されば、本件戒告をもつて取消訴訟の対象たる行政処分であるとした原審および第一審の判断は、裁判所法三条、行政事件訴訟特例法一条の解釈適用を誤つた違法なものであるというべく、論旨は理由がある。

よつて、その余の上告理由について判断を加えるまでもなく、民訴四〇八条、三九六条、三八六条により、原判決を破棄し、第一審判決を取り消し、本件戒告の取消を求める被上告人の訴は却下することとし、訴訟費用の負担につき同法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

この判決は、裁判官全員一致の意見によるものである。

(裁判官 横田正俊 河村又介 垂水克巳 石坂修一 五鬼上堅磐)

上告理由

第一、原判決には、取消訴訟の対象となるべき行政処分でないものを行政処分であるとして審理裁判し、裁判所法第三条、行政事件訴訟特例法第一条の解釈適用を誤つた違法がある。

行政事件訴訟特例法が行政処分の取消変更を求める訴を規定しているのは、公権力の主体たる国または公共団体がその行為によつて国民の権利義務を形成し、あるいはその範囲を確定することが法律上認められている場合に、具体的の行為によつて権利を侵された者のために、その違法を主張せしめて、その効力を失わしめ、もつて国民の受ける法律上の不利益の救済を図ろうとするにあるのであるから、右特例法にいう行政処分はこのような効力を持つ行政庁の行為でなければならないことは当然である(最高裁昭和二八年(オ)第一三六二号、同三〇年二月二四日第一小法廷判決、民集第九巻第二号二一七頁)。すなわち、取消訴訟の対象となるべき行政処分とは行政主体たる国または公共団体が公権力の発動として行う公法上の行為であり、かつこれによりその相手方に対して何らかの法律的影響を与えるものでなければならないわけである。ところが本件戒告は以下述べるように、国が公権力の発動として行つたものではなく、またそれにより相手方たる被上告人に対して何らの法律的影響を与えるものではないから、それは右にいう行政処分には該当しない。

(一) 国と保険医との関係は公法上の契約関係であり、本件戒告は国が公権力の発動として行つたものではない。

健康保険法(昭和三二年法律第四二号による改正前の健康保険法をいう。以下同じ。)によれば、健康保険の保険者は政府及び健康保険組合がこれに当り(第二二条)、被保険者の疾病または負傷に関して療養の給付を行うのであるが(第四三条)、その療養の給付は、実際には、保険医、保険薬剤師並びに保険者の指定する者に行わせることにしている(第四三条ノ二)。ところでこの保険医は都道府県知事が医師についてこれを指定するのであるが(第四三条ノ三第一項)、その指定については医師の同意を要するものとされている(同条第二項)そこで実際に保険医を指定する場合の手続は、昭和二三年厚生省令第三二号「健康保険及び船員保険の保険医及び保険薬剤師の指定に関する件」により、保険医の指定を受けようとする医師から同省令第二条所定の事項を記載した申請書を都道府県知事に提出させ、それに対して都道府県知事が保険医の指定をすることにされている。従つてこの保険医の指定は都道府県知事と医師との合意に基づいて行われるらのであつて、それは公法上の契約の性質をもつものであり、(吾妻光俊、社会保障法一〇九頁参照)、それによつて国と保険医との間に公法上の契約関係が発生するのであつて、それは権力関係に当るものではない。従つて保険医はいつでも自由に保険医たることを辞することができ(第四三条ノ三第四項)、ただ辞せんとする場合には辞せんとする日前一月以上の予告期間をおかねばならないとされているにすぎない(第四三条ノ三第五項)。また保険医が療養担当の責務を怠つたときは、都道府県知事は保険医の指定を取り消すことができることになつているが(第四三条ノ四第三項)、これも保険医が療養担当の責務を怠り、契約(健康保険法及びその附属法令等において保険医の権利義務として定められている事項は、すべて法定約款として、右の公法上の契約の内容をなすものである。)に違反した場合に、都道府県知事が公法上の契約を解除する行為にすぎないものであつて、国が公権力の発動として行うものではない。しかして保険医は昭和二五年厚生省告示第二三九号健康保険保険医療養担当規程(以下療養担当規程という。)によつて被保険者及び被扶養者の療養を担当すべきものであり(第四三条ノ四第一項)、都道府県知事は厚生省保険局長の通達した社会保険医療担当者監査要綱(以下監査要綱という。)によつて保険医の診療内容及び診療報酬の請求状況を監査し、その結果、保険医に診療または診療報酬の請求について、不正または不当の事実が発見されたときは、都道府県知事は事案の軽重に従い、注意、戒告、指定取消の三種の措置をとりうることになつているが、このうち指定の取消はさきに述べた健康保険法第四三条ノ四第三項の指定の取消をいうのであつて、これが公法上の契約解除のために行われるものであることはさきに述べたとおりであり、また注意、戒告も公法上の契約を結んだ都道府県知事がその契約の一方の当事者である保険医に対して将来同じ契約違反を繰り返さないよう注意を促がす意味で行うにすぎないものであつて、国が公権力の発動として行うものではない。

(二) 本件戒告は単なる事実行為であつて、相手方たる被上告人に対し何らの法律的影響を与えるものではない。

(1)  本件戒告は前述のとおり厚生省保険局長の通達に基づいて行われたものであつて、何ら法律上の根拠に基づいて行われたものではないから、それによつては何らの法律上の効果も発生するものではなく、それは単なる事実行為にすぎない。ところが取消訴訟は行政庁の行為によつて生じた法律上の効果によつて法律上の不利益を受けている者に対し、その行為の取消によつて右の法律上の効果を失わせ、これにより権利救済をはかることを目的とするものであるから、そのような法律上の効果を発生しない行為を取消訴訟の対象とし、判決でそれを取り消すといつてみても、それは法律上無意味なことであり、取消訴訟制度の範囲を逸脱するものといわざるをえない。従つて、何らの法律上の効果を伴わない本件戒告は取消訴訟の対象たるべき行政処分に当らないというべきである。

(2)  ところが、原判決の引用する第一審判決によれば、「右注意及戒告の措置は其れ自体何等法律上の効果の発生を目的としない一種の観念通知たる事実上の行為であるとは言え、之が措置を受けた医療担当者に取つては事の性質上当然右指定取消の場合と同様其の名誉及信用等に事実上重大な影響を及ぼす虞のあることも明らかであるから右措置はいずれも懲戒的作用たる性質をも具有せしめたもので其の措置のいずれを選ぶかは原則として当該知事の監査の結果により其の専権に属するものと解するのが相当であるが右戒告処分が社会観念上著しく其の適正を欠くとか原告主張の如く全く事実の基礎を欠くような場合であるならば行政特例法第一条にいう行政庁の処分に準じて所謂抗告訴訟の対象となり得るものとして之が取消の救済を裁判所の判断に求めることは許さるべきものと解するのが妥当である。」と判示し、また原判決も、「さきに引用した原判決(第一審判決)の理由にも書いてあるように、戒告処分はその処分を受けた保険医にとつては事の性質上指定取消の場合と同様その名誉および信用等に重大な影響を及ぼすことも明らかであつて、このことは原審証人齎藤篤、同岡田久男当審証人前川久三郎、同成田至の各証言および原審における控訴人本人尋問の結果からも観取するに難くない。そして指定取消処分については県の公報に掲載公示することに定められていることは被控訴人の自認するところであり、成立に争いない甲第三十九号証の一、二によれば、被控訴人は指定取消処分のみならず、戒告および注意の処分についても県公報に公示していることが認められる(被控訴人は、本件戒告が県公報に掲載されたのは過誤によるものであると主張するけれども、措信し難い当審証人岡本和夫の証言を外にしてこれを認めるに足る証拠がない。)から、戒告処分を受けた保険医が受ける不利益は一層大きいと云わねばならぬ。上敍の意味において戒告処分は懲戒的作用たる性質をも具有するものである」。と判示している。右にいう注意や戒告が何ら懲戒的作用たる性質をもつものでないことは後述するとおりであるが、仮りにそれが懲戒的作用たる性質をもつものとしても、右各判示の如く、それによつて保険医は単に名誉及び信用等に影響を受けるというにすぎないのであつて、それはあくまで事実上の不利益たるにとどまり、それによつて保険医の権利または法律的地位に影響を及ぼすというものではないのである。その点は公務員に対する戒告処分とは明らかに異る。国家公務員法第八二条により国家公務員が戒告処分に付されたときは、当該公務員は一年間特別昇給ができないのはもちろん、普通昇給も延伸されるから(一般職の職員の給与に関する法律第八条第六項、人事院規則九-八初任給、昇格、昇給等の基準、第一六条、人事院細則九-八-二初任給、昇格、昇給等の実施細則第四節、昭和三二年一〇月四日給実甲第一四四号「昇給の運用について」)、それは公務員の権利関係に影響を及ぼすものであるが、保険医に対する注意や戒告の場合には保険医の権利関係には何らの影響も及ぼさないのである。それはあたかも公務員に対して行われる訓告処分の如きものであつて、公務員に対する訓告処分が別段法律上の根拠をもつわけではなく、ただ行政上の慣行として行われているにすぎないのと、その点においては異るところはないわけである。

ところで右に述べたような名誉信用等に重大な影響を及ぼすということ、いいかえればそのような事実上の不利益を与えるということで、行政上の行為が取消訴訟の対象となりうるかどうかについては、最高裁昭和二八年(オ)第一一〇号裁決取消事件の昭和三六年三月一五日付大法廷判決において否定されているところである。この事件は捕鯨船機船第六関丸と汽船満珠丸の衡突事件について、高等海難審判庁が「本件衝突は林兼造船株式会社の業務上の過失によつて発生したものである。」との裁決をしたのに対して、林兼造船株武会社が東京高等裁判所に裁決取消の訴を提起したところ、同裁判所が海難審判庁の裁決は権威あるものであつて、裁決の既判力が他の訴訟事件、例えば損害賠償請求事件等に及ぶことはないが、裁決主文に現われた内容はこれら他の訴訟事件でも一応尊重されるから、裁決主文で海難原因が会社の過失にあるとされた場合には、会社は不利益を受け、その不利益は、単なる事実上の不利益と考えるには余りに重大であつて、法律上の不利益と認めるのが相当であるから、かかる不利益を受けた会社は、裁決の取消を求めて訴訟を提起することがゆるされなければならないとして、本案について審理し、裁決を違法として取り消したので、高等海難審判庁において上告した事件である。この事件において最高裁判所大法廷は、「特例法が広く行政庁の違法処分に対し取消変更を求める訴を規定しているのは、行政上の処分が国民の権利義務に直接に関係し、違法な処分が国民の法律上の利益を侵すことがあるからであり、従つて行政庁の行為であつても、性質上かような効力をもたない行為は、右特例法にいわゆる行政庁の処分にあたらないと解すべきである。同様に、海難審判庁の裁決であつても、上述の効力をもたない裁決は、右にいう行政処分にあたらず、その取消を求める訴を提起することはできないものといわなければならない。海難審判法四条によれば、海難審判庁の裁決には、海技従事者または水先人を懲戒する裁決、海難に関係のある者に勧告する裁決、海難の原因を明らかにする裁決があるが、これ等の中懲戒裁決は受審人の権利関係を形成する裁決であつて行政処分に該当することは疑がないけれども、その他の裁決が右特例法にいう行政処分にあたるかどうかは、これ等の裁決が上述のように国民の権利義務に直接に関係する効力を有するかどうかによつて判断されなければならないわけである。本件裁決の主文が、本件衝突は、被上告人の業務上の過失によつて発生したということを示す趣旨のものであることは、原判決の判示するとおりである、すなわち、この裁決は、上述の海難の原因を明らかにする裁決であつて、被上告人は何等かの義務を課しもしくはその権利行使を妨げるものでないことは、法律の規定及び裁決自体によつて明らかであり、被上告人の過失を確定する効力もないことは後述するとおりである。そうだとすれば、本件裁決は被上告人の権利義務に直接関係のない裁決であつて、これを行政処分と解することはできず、被上告人から出訴することは許されないものとしなければならない。」と判示し、原判決を破棄し、被上告人林兼造船株式会社の訴を却下したのである。これは最初に挙げた最高裁判所の判決と同趣旨であつて、結局行政庁の行為であつても行政処分として取消訴訟の対象となりうるものは、国民の権利義務に直接に関係し、国民の法律上の利益を侵害するもののみに限られるのであつて、そのような効力をもたない、いいかえれば単に国民に対して事実上の不利益を与えるにすぎないものは、取消訴訟の対象となるべき行政処分には当らないことを示したものと解することができる。これからしても、単に保険医の名誉、信用等に重大な影響を及ぼすというだけでは、戒告を取消訴訟の対象となるべき行政処分であるといいえないことは明らかである。

(3)  本件戒告は何ら懲戒的作用たる性質をもつものではない。

監査要網に基づいて都道府県知事が行う監査は、保険医に診療方針を徹底させ、診療または診療報酬の請求が適正に行われるよう指導する意味で行うのであり(監査要網一、自的、二、方針、健康保険法第四三条ノ三第三項参照)、決して保険医の非違を摘発し、それに対して制裁を加えるために行うものではない。同様注意や戒告も保険医が将来診療または診療報酬の請求について同じ間違を繰り返さないよう注意し、これを指導する意味で行うのであり、決して保険医に対する制裁の意味で行うのではない。また指定取消もさきに述べたように、単に保険医との公法上の契約を解除するために行うものであつて、それには何ら懲戒的作用たる性質は含まれていないのである。このことは国と保険医との関係からして明らかである。さきに述べたように、国と保険医との関係は公法上の契約関係であつて、権力関係ではなく、いわんや特別権力関係にあるものではない。従つてこの特別権力関係の親律を維持するために、制裁として、注意、戒告及び指定取消が行われるものと解する余地はない。また懲戒的性質をもたない行為によつても相手方の名誉や信用等に影響を及ぼすことはありうるのであるから、第一審判決や原判決の判示するように名誉や信用等に影響を及ぼすというだけでは注意や戒告を懲戒的作用たる性質をもつものと断定することはできない。また告示云々の点については、指定取消の場合は告示することになつているが(昭和二三年厚生省令第三二号健康保険及び船員保険の保険医及び保険薬剤師の指定に関する件第八条)、これは保険医の指定をした場合に告示することになつている(同第三条)のと同様に、指定取消によつて保険医が保険医でなくなつたことを一般に周知させ、間違の起らないようにするためであつて、その意味において指定取消をした場合には告示することが必要なのである。しかし、注意や戒告は単に保険医が将来診療または診療報酬の請求について同じ間違を繰り返さないよう注意を促がすためであるから、当該保険医に対してのみ注意すれば足りるのであつて、これを一般に周知せしめる必要はないのであり、本件戒告についてはたまたま県の公報に掲載したが、通常は注意や戒告は県の公報に掲載公示するということはしていない。それはとも角として、指定の取消を告示する趣旨が右に述べたとおりである以上、それと同じ様に本件戒告についてもこれを告示したからといつて、そのことのために本件戒告が懲戒的作用たる性質をもつにいたるものということはできないのである。いずれにしても本件戒告は懲戒的性質をもつものではないから、それを理由として取消訴訟の対象となりうるべき行政処分と解することはできない。

(4)  また保険医は注意や戒告によつて名誉信用等を害されたというのであれば、別に損害賠償の請求の途があるのであつて、それによつて保険医は救済を受ければ足りるのであるから、本来行政処分でないものを強いて行政処分であるとして取消訴訟を認める必要もないのである。

これを要するに、本件戒告は国が公権力の発動として行つたものではないし、またそれは事実上の行為であつて、それによつて被上告人に対し何ら法律的影響を及ぼすものでもないから、本件戒告をもつて取消訴訟の対象となるべき行政処分であるということはできない。しかるに原判決はこれを行政処分であるとして審理裁判したのであつてその点原判決には法令の解釈適用を誤つた違法がある。

第二、原判決の認定した事実によつても被上告人は戒告に値いしたものであり、それを戒告に値いしないものとして本件戒告を違法なりとした原判決には、健康保険法第四三条ノ四、行政事件訴訟特例法第一条の解釈を誤つた違法がある。

前述の如く、健康保険法によれば、保険医は、療養担当規程によつて被保険者及び被扶養者の療養を担当すべきものであり(第四三条ノ四第一項)、保険医がその責務を怠つたときは、都道府県知事はその指定を取り消すことができるものとされている(第四三条ノ四第三項)。従つて保険医が療養担当規程に定められている診療方針や診療取扱手続に違背し、また間違つた診療報酬の請求をしたときは、療養担当の責務を怠つたものとして、都道府県知事は健康保険法第四三条ノ四第三項の規定により保険医の指定を取り消すことができるのであるが、保険医が右の診療方針や診療取扱手続に違背したとか、あるいは間違つた診療報酬の請求をしたといつても、事案によつて、それが故意になされたとか、あるいは重大な過失によつてなされたとか、または軽微な過失によつてなされたとかいろいろな場合が考えられ、また同じ過失に基づく場合でも、一回だけの場合もあれば、しばしば繰り返される場合もあつて、一様ではないので、それらをすべて同様に取り扱つて指定取消をするということは必らずしも適当ではない。そこで実際上いかなる場合に指定取消を行うか、その取扱について内部的に一定の基準を設ける必要があり、また指定取消を行う程のことはないが、さればといつて放置するわけにもいかないものについて適当な措置をとる必要があるので、そこで監査要綱において、監査後の措置として事案の軽重により、指定取消、戒告、注意の三種の措置をとることにされたのである。すなわち、監査要綱によれば、もつとも違反の程度の重い。

(イ) 故意に不正または不当な診療を行つたもの

(ロ) 故意に不正または不当な報酬請求を行つたもの

(ハ) 重大なる過失により不正または不当な診療をしばしば行つたもの

(ニ) 重大なる過失により不正または不当な報酬請求をしばしば行つたものについて指定取消を行うものとし、それより程度は軽いが、それに次いで重いもの、すなわち、

(イ) 重大なる過失により不正または不当な診療を行つたもの

(ロ) 重大なる過失により不正または不当な請求を行つたもの

(ハ) 軽微なる過失により不正または不当な診療をしばしば行つたもの

(ニ) 軽微なる過失により不正または不当な請求をしばしば行つたもの

については、戒告の措置をとることにし、もつとも程度の軽いもの、すなわち

(イ) 軽微なる過失により不正または不当な診療を行つたもの

(ロ) 軽微なる過失により不正または不当な請求を行つたものについては、注意の措置をとることにされたのである。しかしながら、これは右に述べたように、健康保険法第四三条ノ四第三項の指定取消をする場合の基準を定めると同時に、指定取消はしないが、同じく療養担当の責務を怠つたものとして放置できないものについて、戒告並びに注意の措置をとることにして、その一応の基準を定めたものであつて、療養担当の責務を怠つたという点では右に掲げたものはいずれも同じであり、従つていずれの場合も健康保険法第四三条ノ四第三項により指定を取り消すことは可能なのであるから、そういう療養担当の責務を怠つたものについて、指定の取消を行うか、戒告または注意のいずれの措置をとるかは都道府県知事が決めることができるのであつて、いいかえればそれは都道府県知事の裁量に任されているのである。

ところで、原判決によれば、五十畑直、五十畑和子の関係について被上告人は、同一家屋内に居住する右両名を同じ機会に往診したことに対する報酬として、昭和一八年二月八日厚生省告示第六六号「健康保険法及ビ船員保険法ノ規定二依ル療養ニ要スル費用ノ額ノ算定方法」(同一家屋内ニ二人以上ノ患者アル場合ハ主タル患者以外ノ診療者一入ニ付一点ヲ請求スルコトヲ得)に違反して一〇点ずつ請求したのは不当であると認定し、また「成立に争いない乙第十一号証の三(控訴人作成の診療録)は、被保険者証、被保険者の氏名、資格取得の年月日、受診者氏名、生年月日、住所、職業、被保険者との続柄、事業所の所在地、名称、保険者の所在地、名称等いわゆる身分欄が一切空白であり、成立に争いない同号証の一(控訴人作成の診療録)は資格取得の年月日、受診者の職業、事業所の名称、所在地等の各欄になんの記載もない。又成立に争いのない乙第十三号証の一、二(控訴人作成の診療録)および原審証人松本一郎の証言によれば、同号証の診療録には病症の経過の記載がなく、処置欄等の記載が不備であり、且つ被保険者の資格取得年月日、受診者の住所、職業、事業所名、所在地等の記載を欠いていることを認めることができる。後二者はしばらく措くとしても、前者(乙第十一号証の三診療録)の如きはそれが何人の診療録であるか、それ自体では全く不明である。かようなものは、診察録の目的に照らして到底許容さるべきものでないことは明白である。」とし、診療録の整備不完全なる事実を認定している。これは明らかに前者は重大な過失による診療報酬の不当請求に当り、また後者は前述の診療取扱手続(療養担当規程第一七条)に違背するものであつて、まさに前記戒告の基準に該当するものといわなければならない。ところが、原判決によれば、右の往診料の不当請求は、被上告人方の看護婦であつた酒主トシ子が診料報酬請求明細書を作成するにあたり、五十畑直、五十畑和子の各診療録にそれぞれ「往診」と記載されているのを見て、それらの患者が同一家屋内にあるもので、その往診が同一の機会になされたものであることに気付かず、それぞれ独立して往診の報酬を請求したため、結果的には二重請求になつたものであり、被上告人が故意にそのようにさせたものではないから、被上告人に監督不行届の責がないとはいえないが、せいぜい軽過失の責を負わしめるにとどむべきであるとし、また診療録の整備が不完全であるという点については、昭和二九年当時一般保険医が作成していた診療録はその精角度において被上告人の作成にかかるそれと大同小異であつたから、診療録の整備不備を被上告人に対する戒告処分の一事由として考察するときには公平という観点から右事情を斟酌すべきものであるとし、結局被上告人を「社会保険診療方針に違背し、かつ重大な過失による診療報酬の不当請求をしたもの」として戒告処分に付することは著しく不当であると判断しているのである。しかしながら、往診料の不当請求については、被上告人が五十畑直、五十畑和子の診療録に右両名が同一家屋内にあり、かつ同一機会に往診したことを註記しておれば、酒主トシ子が右両名の診療録を見て診療報酬請求明細書を作成するにあたり、それぞれ一〇点と記載しないはずであり、そうすればかかる不当請求を避けえたのであつて、被上告人が酒主トシ子に口頭で右の旨を設明するのであれば格別、そうでない限りは診療録に右の旨を註記すべきであつたのである。従つてこの不当請求はむしろ被上告人が診療録に註記しておかなかつた重大な不注意が原因をなすものであつて、被上告人は単に監督不行届の責があつたというだけではないのである。従つてこれは単なる軽過失ではなく、重大な過失による診療報酬の不当請求であつたといわなければならない。また診療録の整備不良の点については、昭和二九年当時一般保険医が作成していた診療録がその精角度において被上告人のそれと大同小異であつたからといつて、診療録の整備不良の事実が存したことは否定できないのであるかる、診療取扱手続に違背したことは明らかである。

仮りに右診療報酬の不当請求が原判決のいうように軽過失によるものであり、また診療録の整備不良の点も公平の観点から、いつて被上告人のみをそれ程非難すべきではないとしても、一方原判決によれば、被上告人はそれ以前の昭和二七年二月八日上告人から社会保険診療方針に違背したため、今後の事務取扱並びに診療取扱を厳正妥当に取り扱うことを条件として注意を受けた事実を認定しており、その認定の証拠とされた乙第二一号証の一、二によれば、被上告人は右の注意を受けるとともに、診療報酬の不当請求をしたものとして、被上告人に支払つた診療報酬額一六五円を次期診療費の支払より控除された事実が認められるので、この点を考慮すれば前記戒告の基準の(ハ)、(ニ)に該当し、やはり戒告は相当であつたといわなければならない。

また、その点は別としても、原判決が認定しているように、被上告人には診療報酬の不当請求と診療録の整備不良の事実があり、これはすなわち療養担当の責務を怠つたことに外ならないのであるから、上告人に対して本件戒告の措置をとつたことは何等違法ではない。前述したように、保険医が療養担当の責務を怠つたときは、それが故意、重過失または転過失のいずれにもとずくものであるか、またしばしば繰り返し行われているか否かは、これを問うところなく、健康保険法上、都道府県知事は指定取消をすることができるのであつて、それより軽い措置たる戒告が仮りに行政処分であるとしても、その法律要件は指定取消の要件よりも厳格であるはずはなく、それは保険医が療養担当の責務を怠つた事実さえ認められれば、この措置をとりうるわけのものである。従つて、前述のように被上告人に療養担当の責務を怠つた事実が認定される以上は、それが重大なる過失によるものでなくても、またしばしばそれが行われたものでなくても、それとは無関係にこれに基づく戒告は当然適法と判断さるべきものといわなければならない。なお、本件戒告の通告(甲第一号証)に、「社会保険診療方針に違背しかつ重大な過失による診療報酬の不当請求をしたものと認められるので」という記載があるが、これは、当該行政庁がその執る措置についての一応の理由を示したまでのことであつて、その記載の存することは右の結論に何らの影響を及ぼすものではない。しかして保険医に療養担当の責務を怠つた事実がある場合に、指定取消、戒告、注意のいずれの措置をとるかは前述のように都道府県知事の裁量に任されているものであるところ、その裁量に基づく措置は、その措置が全く事実上の根拠に基づかないと認められる場合であるか、もしくは社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超えるものと認められる場合を除き、これを違法とすべきでないことは既に判例上明らかにされており(最高裁昭和二八年(オ)第五二五号、昭和二九年七月三〇日第三小法廷判決、民集第八巻第七号一四六三頁、最高裁昭和二九年(オ)第九七三号、同三二年五月一〇日第二小法廷判決、民集第一一巻第五号六九九頁)、そして本件戒告の場合には、右に述べたように事実の基礎は存するのであり、また本件戒告の措置をとつたことが社会観念上著しく妥当を欠くものとはいえない(殊に右の以前に一度注意を受けている事情をあわせ考えればより一層そのことがいえる。)から、それは結局、当、不当の問題たるにとどまり、違法の問題は生じないのである。なお、前述の監査要網において三措置につきそれぞれ一定の基準が設けられているが、これは既に明らかにしたように保険局長が都道府県知事に対しその裁量権の運用につき一応の基準を示した内部的通達にとどまるのであるから、仮りにその基準に当てはまらないことがあるとしても、当、不当の問題は別としてそのために直ちに当該措置が違法といわるべき筋合のものではないことを附言しておきたい。

これを要するに、原判決は戒告に値いするものをそれに値いしないものとして、本件戒告を違法であると判断したのであつて、その点原判決には法令の解釈適用を誤つた違法があるといわなければならない。

以上

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